note.3「ある台所のはなし」



家主には大変迷惑なことなのだろうが、
最近、とても気に入っている台所がある。
広いうえに、小さいけれど窓がついているのだ。

眠れない夜に、その台所を思い出すと、何でか妙に落ち着く。

明け方の、まだ暑くない時間、少しだけ開けっ放しになっている窓からもれてくる光や、フローリングの床の冷たさや、朝日に反射する流しの美しさを思うと、ひどくかけがいのないものに感じられて、こういう風景にこれからも出会えるなら、生きていくのもまんざら悪いことではないのかもしれない、と思える。

朝、そこにボーッと座っていると、ものすごくリアルな「生活」を感じる。
けれどもそのリアルさは、押し付けがましくもないし、突き放した感じもしない。
そこにわたしがいる事に対してひどく寛容なのだ。
たぶん、いま住んでいる人間だけでなく、前に住んでいた人の、その前に住んでいた人の、それぞれの生活が少しずつ積み重なった結果、奇跡的に保たれている空間だからだと思う。
だからその台所にいると、時間とか、歴史とかいってしまうと大袈裟だけれど、それでも何か大きなものに許されている気がして、とても救われる。


いつか、どこにも行けなくなって、途方に暮れた時、わたしはあの台所を思い出すと思う。



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